私の母校は日本写真映像専門学校(現学校長: 濵口 栄)。ここで角田蒼児先生(創設者)の美学・芸術学講義を受けた。毎回楽しみにしていたが、講義は恐怖でもあった。先生はいつも鬼気迫る形相で遺言のつもりなのではと思わせる、迫真の講義だった。
その中でこんな言葉が強烈な記憶として残っている。 あのとき琴線に触れたのでしょう。私と盟友・同級生の目は間違いなくうるんでいた。ノートに残っているそのフレーズ。
《無目的的合目的性》
《絶対矛盾的自己同一》
(なんのこっちゃ!)ですよね。
誰でもそう思うでしょう。ただ物事を、
「分別しないでそのまま見よう」
「あるがままに受け入れよう」
これは自分なりの理解であるが、写真を写すときには無欲であれ!
そう言いたかったのでしょうか。これは多分に「禅的」でもある。
「智慧」・「悟性」・「吾性」と呼ぶ領域のことであろうか。また別の解釈も成り立つ。
美という既定・判断は概念(知性)にも道徳 (理性)にも当てはまらない。つまり美意識は人によって様々ということ。
皆さんの受け取り方は様々。それでいいのです。
角田先生の逸話はまだまだあるが、どんなに下手な写真作品も決してけなすことはしない。
講義は一貫して《無目的的合目的性》(角田蒼児)であり、《絶対矛盾の自己同一》的(西田幾多郎)であります。
思うに、あのとき時限爆弾を仕掛けられたのではないか。
「絶対矛盾的自己同一」を背負って苦しめと。
さて自分が取り組んできた記念写真は、「幸せ」を映し出すのが仕事。時たま人の不条理に出会うこともある。具体的な例は立場上ここで掲げることは出来ませんが、そんな時自己同一のフレーズが頭をよぎります。
これからは、湧き上がる感情を一枚のスチールにしたいと思っております。