宣長の遺言

全国に散らばる本居宣長門下生の数は468人。60歳になっていた宣長は門弟に対して文通による指導だけでなく、弟子を励ますため各地を旅行した。30巻の「古事記伝」を著すために彼は30年余の歳月を懸ける。常人ではありえない体力と研究への入れ込みようが偲ばれる。それだけの彼だから、自らの葬儀、墓造り、月命日の参り方まで遺言で指定している。(以下、太字はWIKIより抜粋)

  1. 墓を二つ作れ:
    • 妙楽寺と樹敬寺という2つの寺に墓を建てるよう指示しています。
    • ただし、遺骸は妙楽寺に葬り、樹敬寺は空にしておくこととされています。
  2. 山室山への葬儀:
    • 遺骸を葬る際は夜中に妙楽寺に運ぶようにと遺言しています。

昭和46年新潮社刊

小林秀雄著「本居宣長」にも彼の遺言が呆れるほどの長文で、事細かに綴られている。現代に通じる偉業を成し遂げた偉人は、自己への執着でも天才的であった。

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