「父逝く」

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これで二人の父を亡くした。そして気付いたこと。

『やはり父親は永遠のライバル』

先代の写す写真は、その撮影スタイルからポーズ、それを貫く創作態度、すべてが嫌いだった。
もっとライブ感のある生きた写真にしたかった。そしてエンタテイメント性の欠如した,<記録>こそが写真の使命だとする考え方がたまらなく嫌だった。
義父と一緒に仕事をするようになって,
(ここは辛抱辛抱)
と耐え、周囲や取引先に相談して逆に諭されもした。
しかしその辛抱も半年足らずで終わり、撮影現場を仕切っていた。やがて父の友人も取引先も奪い取り,強欲街道を突っ走った。

そして38年が過ぎた。実父の葬儀に泣けなかったのに、義父の葬儀に泣いた。

今の僕は四代目の息子にすべてを明け渡している。社業のすべてを。
僕が父にしてきた仕打ちは、いつか因果応報、必ず繰り返されることになるだろう。だから次の代に及ばぬように自ら早く引退しようと決めていた。
(俺が!俺が!)
そんな欲は初めから無かったかのように、今はとぼけている。

以上の記事は平成24年の記述

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