天才・落合陽一の「風景論」

以下、落合陽一/風景論「香港の街角から」から名文の部分を抜粋掲載しました。掲載は雑誌「文学界」11月号掲載。文芸春秋社

短文なので、ぜひ読んで彼の天才ぶりをご堪能ください。

一呼吸一呼吸にコンテクストを編みながら、心象風景に重なる瞬間を求めてスナップ写真を撮り続ける。何のイメージだったか、どこの風景だったか、そして何を思っていたのかが渾然としてきて、現実とデジタルモニターの境界線が曖昧になり始める。それでも今ここにある一瞬一瞬を過去に変換していくために、シャッターを切り続けている。イメージと風景の境界線を探る瞬間が生を感じるひとときだ。

 レンズが曇ってくるような香港の街角の風景が好きだ。欲や情念がレンズフレアの中に混ざり込んで、風景と共にまどろんでいる。中国語、英語、日本語が入り混じった風景の中に、デジタル制御の光と提灯越しのアナログな白熱灯の光が入り組んでいる。東南アジアの街角の物売りの風景のようでもあり、新宿の雑踏の中の風景にも見える。幾重にも重なったイメージが生々しく現前している。香港•旺角の女人街の店頭に並ぶヨーロッパブランドのコピー商品とアメリカのスポーツブランドのロゴの応酬が地球上の様々な文化的背景を吸い上げて、フォトンの洪水になってレンズに吸い込まれ、センサーに色彩を焼き付けていく。点光源の集まりからなるLEDパネルの発光が霞ませるオールドレンズのボケの中に、湿気と熱が封じ込められている。

香港には出掛けたことがないので、代わりにシンガポールの夜景を

ここに在る風景の懐かしさは我々がすでに失った風景への懐かしさだろうか。それとも奇怪に絡み合ったデジタルとアナログ、そしてアジアの中に紛れ込んだ日本的なものへの哀愁だろうか。ありそうでなさそうな風景が、夜明けには消えてしまうような人混みの熱が、レンズを通じて語り掛けてくる複雑さが香港の街並みにはあると思う。

体制とデモの衝突が垣間見えた2019年の香港の裏路地を歩きながら、街の生命力の強さを実感している、デジタル化とともに社会変容を遂げている中国の力強さとスケール感、その溢れる人の情念や情熱が欲の形を持って店頭や雑踏にこだましている。デジタルからこぼれ落ちたアナログの情念、スマホ上に浮かんでは消えるピクセルの情念だけでは語り切れない人間性の発露が、この街の重力をいくばくか強くしているような気さえする。中国語本土からの適度な距離感と様々な文化のミックス、ヨーロッパ感の未だに残る返還24年の香港でフォトンを捕まえながら、きょうも心象のスケッチを探している。

※コンテクストとは一般的に文脈(ぶんみゃく)と訳されることが多い。

※作中のフォトン(Photon).とは 光子 - 光の量子のこと。

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