アンコールワット(3)

インドシナに君臨したカンボジア・アンコール王朝は、6世紀に成立。美しいジャングル地帯であるがゆえ侵略を受け続けた。その歴史は凄まじい。15世紀は隣国タイ(シャム)に侵攻され、17世紀になるとベトナムに侵食される。19世紀になるといよいよフランスの植民地支配がはじまる。フランスはベトナム人を雇って間接統治をする。国民にとって長く辛い歴史に終止符を打ったのが1941年の日本軍侵攻(大東亜戦争)だ。しかし1945年、日本が降伏すると再びフランス統治が始まる。

ここからが歴史上一番読みにくい。1953年シアヌーク殿下率いる王朝が成立したが、フランス支配、中国の介入、フランス人を後ろ盾にするベトナムの介入により、国内は4派に分断される。

1960年に始まるベトナム戦争は、カンボジアも戦場として巻き込んでいく。その後、中国を模した文化大革命が惨劇を生む。ポル・ポト派による大虐殺被害者は4年間で300万人と言われている。

1978年、反クーデターが勃発しフンセン派が政権を握ったが、政権派とクメール王朝の流れをくむ一派、中国による後押しを受けた一派、シアヌーク派、4派に分かれたまま国内は混乱する。

1990年、紛争の当事者が参加した東京会議によって4派が初めて統一される。そこでは国連高等弁務官事務所(UNTAC)の明石代表が活躍した。以来、日本のODAは続いている。

歴史的事象を追うだけで大変だが、この国を支えた王朝文明のバックボーンは仏教であり、ヒンドゥー教である。れっきとした立憲君主国。クメール文明を継承するカンボジア人のプライドです。

以上簡単にまとめたが、その私にも混乱、誤解があるかもしれません。なお、WIKI、ChatGPT、河合塾歴史教科書などを参考にしました。

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