書きかけ小説④「してやってくれ」

「してやってくれ」

 

「おまはんも察しが悪い奴やなあ」

「ほなけん、頼んどるやろ」

「抱いてやってくれと言っとんじゃ」

「うちの ヨメ、おまはんが好きなんやって!」

高瀬欣次は洋二に向かって立て続けに、まるで恋敵を罵倒するかのように、用意していた台詞を連発した。欣次は早起きだが、寝巻きとも部屋着ともつかないジャージ姿で一日を過ごす。目を醒ますと、すぐさまクリーニング仕事に精を出す生活だ。しかしきょうは、上等なワイシャツに棒タイをしている彼。どこかへ出かけなければならないと思っているのだろうが、ケンカを売っているような勢いだ。まだ欣次の店に到着したばかりというのに、いきなりこの顔はないだろう。

きょうは荒れた一日の始まりだ。家を出掛ける時、洋二はふと胸騒ぎを覚えた。梅雨の明けた夏の入口は天候も不順で、今日も晴れ間と夕立の繰り返し。洋二が訪れるまでの間にこの家でいったい何があったのか。

 

欣次と洋二には五歳の年齢差がある。大切な兄貴分として洋二は敬意をもって接してきた。およそ戦後生まれとして共通の価値観を共有していると言って良いかもしれないが、関西訛りのある欣次と名古屋弁のイントネーションが染みついた洋二の会話は、時々かみ合わず奇妙なズレを感じさせる。今ここでありえない事件が繰り広げられているのだが、職人気質の欣次に押し切られてしまってはいけないと洋二は平静を装う。欣次の赤ら顔は普段にも増して熱を帯びている。

(血圧が高そうだなあ)

その眼球が異様に飛び出ているように洋二は感じた。

(こいつは真顔で喋っている)

まだ事の状況を半分しか理解できていない洋二に向かって、

「ほなけん、二階に用意したんぞ」

「朝っぱらから変やけんどな」

急にあきらめ声になった欣次の顔を覗き込みながら、その理解を超えた物言いに洋二は呆れるしかなかった。一階の仕事場は客から預かった汚れ物があちらこちらに散乱しており、欣次の整理下手をむき出しにしている。そんな欣次だが、いつも妻に対しては最上級の気遣いをする献身的な亭主。自慢の女房は、京都生まれで麻衣と言った。現代的なその名前は近隣でも印象に残るらしく、この界隈一の美人と評判が立つほど。その亭主が愛しい麻衣を洋二に差し出すなどありえないことで、よほど欣次は思い悩んだ末の頼みだったのだろう。このままでは彼ら二人の合意があるとはいえず、この場から逃げたい洋二は焦った。ガウン姿で現れた麻衣に驚き、目を疑った。顔を引きつらせたのは洋二のほうだ。気づかれぬように天を仰ぐ仕草で誤魔化したつもりの洋二。

(今日も蒸し暑い日になりそうだ)

慌てた素振りを見せぬように洋二は、小脇に抱えていたヘルメットを被る。スモーク・シールドを開け振り返ると欣次を一瞥する。そして玄関を出た。

「また来るよ」

 

雨上がりで外は蒸し暑く、バイクのフェアリング越しに見える景色はハイコントラストで、少しグリーンかぶりを起こしている。洋二の感覚も少しハレーションを起こしているのだろう。

(きょうは一瞬で変化する天気を楽しもう)

洋二は気を引き締めスロットルを回した。欣次は追ってこない。

走らせながら一息吐くと、頭の先から意識的に脱力するのがいつもの癖。

(電話なんかしてから来るんでなかった)

洋二はそう気づいた。二気筒エンジンは小気味よく、だが湿ったエンジン音を残して濡れた路面を走り去る。

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