つい先日のダボス会議で本物の「リバタリアニズム」についての名演説があった。まるで西側先進諸国の喉元に突き付けられたナイフのような鋭さです。アルゼンチン共和国の置かれた厳しい国家情勢の中で語られた、生命を賭しての歴史的な演説であることは間違いない。以下、YouTube チャンネル「自由主義を学ぶ会」さんの翻訳字幕を抜粋・転載・文字起こしをしました。一部文脈に違和感があるがお許しを。
『リバタリア二ズムとは個人の生命、自由、財産を擁護するために不侵略の原則に基づき、その基本的な制度は、私有財産制、自由競争、分業、社会的協力である。より良い品質、より良い価格の商品で隣人に奉仕することによってのみ、人は成功することができる。言い換えれば、資本家は他人の富を横領する者ではなく、一般の社会的恩人である。つまり成功した企業家は英雄なのです。これが私たちの提案するアルゼンチンの未来モデルです。生命、自由、財産の擁護というリバタリアニズムの基本原則に基づいたモデルです。自由市場の資本主義と競争の法則が、世界の貧困をなくすという驚異的な成果を達成し、人類史上最高の時を迎えているのに、なぜ私は西側諸国が危機に瀕しているというのでしょうか? その理由は、自由市場、私有財産、リバタリアニズムの制度という価値を守る国々で、政財界の有力者たちが、あるものは理論的枠組みの誤りから、ある者は権力への野心から、リバタリアニズムの基盤を損ない、社会主義への扉を開き、私たちを貧困、悲惨、停滞へと追いやる可能性があるからです。社会主義は常に、そしてどこでも、試みられたすべての国で失敗した貧困化現象であることを決して忘れてはなりません。社会主義は経済的に、社会的に失敗しました。文化的にも失敗しました。そして1億人以上の人間を殺したのです。今日の西側諸国にとって本質的問題は、壁が崩壊し、圧倒的な経験的証拠が示された後でもなお、貧困化する社会主義を目指し続ける人々だけでなく、誤った理論的枠組みの下で、歴史上最大の富と繁栄の拡大をもたらしたシステムの土台を台無しにする指導者、思想家、学者たちにも立ち向かわなければならないということです。私が言う理論的枠組みとは新古典経済理論のことです。新古典派経済理論は、知らず知らずのうちに、国家の干渉や社会主義、社会の劣化に機能する道具を設計してしまいます。新古典派の問題は、彼らが惚れ込んだモデルが現実に即していないため、モデルの前提を修正する代わりに、その誤りを市場の失敗のせいにするのです。市場の失敗を口実に規制が導入されますが、それは価格システムに歪を生じさせ、経済計算ひいては貯蓄、投資、成長を阻害します。この問題は本質的に、リバタリアンであるはずの経済学者でさえ、市場とは何かを理解していないという事実にあります。もし理解していれば、市場の失敗など存在しえないことがすぐにわかるはずだからです。市場とは、グラフ上の曲線ではありません。市場とは、人々が自発的に交換する社会的協力のメカニズムです。したがって、その定義からすると、市場の失敗とは矛盾しているのです。市場の失敗など存在しないのです。取引が自発的なものであるならば、市場の失敗が起こり得る唯一の状況は、強制がある場合だけです。そして、全面的に強制する能力を持つのは国家だけであり、国家は暴力を独占しています。したがって、市場の失敗があると考える人がいたら、その中間に国家が介入しているかどうか、チェックすることをお勧めします。そしてもし中間部分に国家の介入がないとわかったら、それは間違っているので、分析をやり直すことを勧めます。市場の失敗は存在しないのです。新古典派の言う市場の失敗の例として、経済の集中構造が挙げられます。しかし1800年から今日に至るまでの経済成長を説明するためには、経済が集中する構造と対をなす規模の収穫逓増の関数がなければ説明がつきません。見てください。1800年以降、人口が8.9倍以上に増加し、一人当たりの生産高は15倍以上になりました。極度の貧困が95%から5%になったのです。しかしこのような収穫逓増の存在は、集中的な構造、いわゆる独占を意味します。新古典派の理論家達にとって、これほど多くの福祉を生み出してきたものが、どうして市場の失敗なのでしょうか。新古典派経済学者は常識を無視します。モデルが失敗したら、現実に腹を立てるのではなく、モデルに腹を立て、モデルを変えなければならない。新古典派モデルが直面するジレンマがあります。彼らは市場の失敗と考えるものを攻撃することで、市場の機能を完全なものにしたいと主張するのですが、そうすることで社会主義の扉を開くだけでなく、経済成長を損なうのです。例えば独占企業を規制し、その利益を破壊し、増加するリターンを破壊することは、自動的に経済成長を破壊することになります。言い換えれば新古典派は、市場とは何かを知らなかったり、失敗したモデルに惚れこんでいたりするので、市場の失敗とされるものを是正しようとするたびに、社会主義への扉を開き人々を貧困に陥れることになるのです。しかし、国家介入は有害であるという理論的実証と、それが失敗したという経済的証拠を前にしても、集産主義者が提案する解決策は、自由を増やすことでなく規制を増やすことなのです。私たち全員が貧しくなり、私たち全員の生活が、高級オフィスに座る官僚に依存するようになるまで、規制によるスパイラルが発生するのです。集産主義モデルの失敗と、自由主義世界の紛れもない発展を受け、社会主義者たちはアジェンダの変更を余儀なくされました。彼らは経済体制に基づく階級闘争を追求することをやめ、その代わりに地域社会や経済成長にとって有害なほかの社会的対立に置き換えました。これらの新しい戦いの最初のものは、男女間のばかげた不自然な戦いでした。リバタリアニズムはすでに男女平等を確立していました。私たちの信条の礎石は、すべての人は平等に創造され、創造主から与えられた同じ不可侵の権利、中でも生命、自由、財産を持っていると言っています。この急進的フェミニズムのアジェンダがもたらしたものは、経済プロセスを阻害し、社会に何の貢献もしない官僚に仕事を与え、それが女性省であれ、このアジェンダを推進するための国際機関であれ、国家の介入を増やすだけなのです。社会主義者が提起するもう一つの対立は、人間対自然です。彼らは人間は地球を傷つけ、地球はどんな犠牲を払っても守らなければならないと主張し、人口抑制メカニズムや中絶という血なまぐさいアジェンダまで提唱します。残念なことにこうした有害な考え方は、私たちの社会に浸透しています。ネオ・マルキシストたちは、西側諸国の常識を掌握することに成功しました。彼らは、メディア、文化、大学に、そして国際機関を利用することでこれを達成したのです。その中でも、国際機関はおそらく最も深刻です。多国間組織を構成する国々の政治的・経済的意思決定に多大な影響を持つ機関だからです。幸いなことにあえて声を上げる者が増えています。というのも、私たちがこのような考えと正面から戦わなければ、起こり得る唯一の運命は、国家権力がますます増大し、規制が強化され、社会主義が進み、貧困が増え、自由がなくなり、その結果、生活水準が低下するということです。欧米は残念ながら、すでにこの道を進み始めています。欧米が社会主義に転じたというのは、多くの人に滑稽に聞こえるかもしれないことは承知しています。しかし、「社会主義とは国家が生産手段を所有する経済体制である」という伝統的な経済学的な定義に固執することは馬鹿げています。この定義は、現在の状況に合わせて更新されるべきです。今日、国家は生産手段を直接管理しなくても、個人の生活のあらゆる側面を管理することができます。通貨発行、国債発行、補助金、金利統制、価格統制、そして「市場の失敗」とされるものを是正するための規制といった手段によって、国家は何百万の人間の運命をコントロールすることができるのです。こうして私たちは、名前や形を変えながらも、ほとんどの西側諸国で一般的に受け入れられている政治的提案のかなりの部分が、集産主義の変種であるという状況にいた至ったのです。彼らが公然と共産主義者であると主張しようと、社会主義者であろうと、社会民主主義者であろうと、キリスト教民主主義者であろうと、進歩主義者であろうと、ポピュリストであろうと、グローバリストであろうと、本質的違いはありません。彼らは皆、国家が個人の生活のあらゆる側面を指揮すべきだと主張しています。彼らは皆、人類をその歴史の中で最も目覚ましい進歩へと導いたモデルとは正反対のモデルを擁護しているのです。私たちは今日、西側諸国に繁栄の道への回帰を呼びかけるためにここへ来ました。経済的自由、制限された政府、私有財産の無制限の尊重は経済成長に不可欠な要素です。集産主義がもたらす貧困化という現象は、幻想ではありません。運命論でもありません。私たちアルゼンチン人がよく知っている現実なのです。なぜなら私たちはすでにそれを経験しているのです。というのも、前にも述べたように、私たちを豊かにした自由のモデルを放棄することを決めて以来、私たちは日々貧しくなる下降スパイラルに陥っているのです。私たちはすでにそれを経験しています。そして私たちは、自由というモデルで豊かになった西側諸国が、このまま「隷属の道」を歩み続ければどうなるかを警告するためにここにいます。アルゼンチンのケースは、どんなに豊かでも、どんなに天然資源があっても、どんなに熟練した国民がいても、中央銀行の金庫にどれだけの金塊があっても関係ない、ということを実証しています。市場の自由な機能、自由な競争、自由な書かう体系を妨げるような措置が採られ、貿易が妨げられ、私有財産が侵害されれば、行きつく先は貧困しかありません。最後にこの場にいるすべての起業家たち、そして地球上のあらゆる場所から私たちを見ている人々にメッセージを残したいと思います。政治カーストや国家に寄生する寄生虫に脅かされてななりません。権力を永続させ、特権を維持することだけを望む政治家階級に屈服してはなりません。あなたたちは社会の恩人です。英雄なのです。あなた方は私たちが経験したことのない繁栄を創り出したのです。あなたの野心が不道徳だとは誰にも言わせません。あなたがお金を稼ぐなら、それはあなたがより良い製品をより良い価格で提供し、それによって一般的な福祉に貢献するからです。国家の進出に屈してはなりません。国家は問題そのものなのです。あなた方はこの物語の主人公であり、きょうからアルゼンチン共和国という揺るぎない見方がいることを知ってください。ありがとうございました。』
以上22分間の全文です。