日本のトップリーダー・吉田昌郎所長の物語

いま映画「FUKUSHIMA50」が封切られている。

原作は門田隆将「死の淵を見た男: 吉田昌郎と福島第一原発の500日」

真実を極めるための圧倒的な取材力、作者の思いの強さに打たれる。

あの日から始まった福島原発職員の壮絶な戦いを、私たちは記憶にとどめる義務があります。

著作の本文から戦いのハイライトシーンだけを時系列でご紹介します。

東北新幹線車窓から。遠くに磐梯山が見える

3.11.14:46 福島第一原発本館2F(免震構造)でM8.9の揺れを受ける。

自動停止スクラム作動。ここまでは職員たちの必死の制御で順調。

3.11.15:36 巨大津波第二波電源喪失突然まるで洗濯機の中に放り込まれたような.最悪の事態に

数分後建屋に職員たちが決死の覚悟でに突入。

ところがドアはテロ対策のおかげで入れず。

3.11.16:30 非番の職員が全員駆けつける。(呼んでもいないのに)

緊急ベントしたいが放射能が漏れるから出来ず

岩手県にて(1975年)

 (中略) 

吉田所長は混乱の中、海水を汲み上げて冷却を考える。しかし海水を注入すれば

原発は使えなくなる。(躊躇すれば炉心溶融、爆発が起こり東日本はダメになる)

「1号機のバルブを緩めるか」と所長。本社に連絡。

ではが建屋に突入するか」の問いに、職員全員が決死隊に志願 年齢順に三組の決死隊を編成

3.11 19:00      菅総理からの命令---「すぐに行くから海水注入を待て!

それを聞いた吉田所長は怒り心頭。素人は口出すな!

3.12.06:14   ヘリで来る菅総理。現場で怒鳴りまくる20分。自分の正義を振り回す。

現場の士気が緩む。しかし吉田所長「今決死隊を組織している!」

この一言で官総理は黙る。「正義」は現場では役に立たない。

職員から12名の突入部隊を結成。

同時に所長は自衛隊に出動要請。陸上自衛隊郡山第6師団派遣。

建屋までの200m。駆け付けた決死覚悟の6師団渡辺隊長。

瓦礫撤去は難航するようやく2回目の突入建屋周辺は1000シーベルト超え。

隊長の命令で自衛隊の特攻チーム引き返す。

3.12.03:36 1号機水素爆発

 東京に戻った官から「海水注入の中止命令」吉田は無視。

この決断が日本を救った』重要な局面です。

3.12.11:01 三号機建屋爆発。職員特攻隊員から行方不明スタッフ(犠牲者)40名との報告。

この時点ですべての冷却手段を失ったわけだ。

吉田所長覚悟の決断。「生きて帰るわけにはいかんな」                                  メルトダウンが近づく---電気系統が津波をかぶっているため制御系が暴れる。

吉田所長は残っている600人のスタッフ全員を集める

「一緒に死んでくれる」部下を探す。ここで泣き出す女性もいた所長は全員に向かって、

「今までほんとにありがとう。もう帰ってください」

ところが69人が残る「残って欲しい」とは一言も言わない所長。

誰一人欠かせない重要なスタッフ、これからの作業に不可欠なスタッフばかりが自発的に残った。

 国を救うために命を懸けた英雄たち。Fukushima50の誕生。

3.14未明   所長が「何か食おう」カップ麺を輪になって食べたトイレは血尿で血まみれ

爆発しそうな二号機。ここで外から高気圧の水を噴射して建屋の窓を破ることを思いつく。

そのころ東京では「東電社長も会長も現場へいけ」と、菅首相は正義を振り回すだけの指示。

吉田所長「馬鹿野郎!」。69人から士気を奪うような指示。

3.15早朝「私は二号機を愛してます」職員の肉声。

69人はこの時点で4日間寝ていなかった。

消防車出動の要請を出そうと、職員決死隊の阿部さん(63歳)から提案。
今は下請けのガードマンだが、彼は
元消防士。

新潟の出身の若い職員も消防決死隊に参加。

3.17.9:00   自衛隊木更津第104飛行隊。ヘリにより水を投下。

ここでは割愛するが、自衛隊員の選抜にも壮絶なドラマがある。

3.18.18:00 百里基地からもハイパワー高圧消防車二台出動。

消防隊3人チームで80m先の目標に向かって1分間に10トンの水を浴びせる。

号機への放水崩れかけた建屋。だが線量が高すぎて近づけない。

 防護服はただの気休めだった。

 松井消防隊長引き返そうと判断。退却を叫んだ瞬間、ライト付きヘルメット姿で原発の職員が建屋脇で自ら被爆しながら、二番消防車に向かって、

「こっちですよ!」と手招きしながら立っていた。

彼は「お願いしまーす!」三号機を指差している1000シーベルトの放射能を彼は浴び続けている。

自衛隊決死隊の原田一曹は「隊長どうしましょう?

松井隊長は「退却するわけにはいかんやろ」と、「突入命令」を出す。

放水開始。2分間に10tの水を浴びせて三号機の窓を見事に射抜いた。

津波から1週間。ここでようやく冷却策解決が見えてきた。

原子炉は沈静化し爆発を免れる

空からは陸海空自のヘリによる5回目の放水も続いている。

3.19   吉田所長の宣言。これで人間の手により冷却活動が可能になった。

3.19深夜  暴走していた原子炉の怒りが静まった。

原発職員の佐藤真理。ここで初めて家族に連絡する。

(後略)

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吉田らと命を捧げてくれた彼らは突入し指揮所に戻ると廊下に倒れこみ、一瞬で死ぬように寝ていた。その彼らは作業時間になると地から湧き上がるように立ち上がって現場に向かう。

吉田所長は2013年7月9日、脳内出血でこの世を去った。彼は宗教に造詣が深く、若い頃から宗教書を読み漁っていたそうだ。趣味は寺巡り。座右の書は「正法眼蔵」で、東電の事務所内に置いていたという。

 

一方の福島第二原発は、第一から12km北。津波は18mの高さ。建屋には2.5mも浸水し、電源喪失。しかし制御系は無傷。震災の翌朝、原子炉冷却水は100Cを突破。外部電源4系統のうち3系統は使用不能。残りは建屋から800m離れた山の上。当時の増田所長は危機管理マニュアルにない行動に出る。人海戦術で800mの電源ケーブルを繋ぐ。何トンものケーブルを200人で分担。「2m間隔で繋ごう!」

おかげで奇跡的に制御室の電源は生きていたから対処できた。

戦後我々は教育で(自分を大切にする生き方が正しい)と教わったが、それは真実ではない。

わが国には、人のために命を賭ける人たちが沢山いることを忘れてはいけない。

「この命、何に燃やす!」

岩手県

(以上、参考・抜粋文献/門田隆将著「死の淵を見た男たち」/武田邦彦ブログ/武田鉄矢出演トーク番組/Wikipediaより)

◆追記

【吉田所長の引退

その後2011121日付で病気療養のために所長職を退任。吉田所長は食道癌が悪化していた。万雷の拍手を浴びながら現場を去る。東京電力によると彼の被曝線量は累計約70ミリシーベルトで、医師の判断では被曝と病気との因果関係は低いとされている。

【菅直人元首相の言い分】

ここ10-20年の間、原子力の危険を訴える者に対する、あらゆる形での圧力が非常に増えている。大学の研究者が『原発には危険が伴う』などと言おうものなら出世のチャンスは絶対回ってこない。政治家もあらゆる援助を電力会社などから受けています。彼ら〈原子力ムラ〉(むら社会を意味する隠語)が逆に原発の危険性を問題にすれば、様々な圧力があり、援助も受けられない。原発を推進しなければ多額の献金が入らない。それは社会のあらゆる領域に張り巡らされ、原発に対する批判が全くされない環境を作り上げている。〈原子力ムラ〉は決して小さな領域でなく国全体にはびこる問題なのです」。この原子力ムラや東電から100人以上の国会議員が献金を受け取っている。津波後3/15 、東電から『原発職員を撤退させてよいか』と菅総理に打診があった。菅は東電の社長を呼び『撤退は絶対ダメだ』と私は伝えた。

そう語っている。しかし東電は政府に現場撤退命令を官邸に報告している。

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