今回は往年のフィルムカメラの中で思い出深い名機を紹介します。フィルム時代の最終名機のご紹介です。
フィルム撮影時代、1992年頃のこと。毎日スタジオ撮影に追われるばかりで正直マンネリ化していた。これではいけない。空気を変えよう。シャッターボタンをを押す人さし指もくたびれていた。それではとレリーズを中指にしてみた。これがなかなかイケる。状況を冷静に判断できる自分に気づくことにつながった。そしてロケ撮影にべったりハマっていく。
ロケ現場では被写体であるお客様に指示を出したり細かな注文など届かない距離をとって、自由にさせてみた。スタジオ撮影とは全く逆を行くわけだ。何もかもが新鮮だった。このカメラディスタンスを取ると、長いレンズが必要だ。そこで最適なレンズが80〜200mm。この焦点距離は当初ミノルタの独壇場。後にキャノンも使ったがミノルタのシャープだがハイライト部の何とも言えない滲み方(ハロー)が好きだった。まるでライカレンズを使うかのようだった。
「ミノルタαシリーズ」は1985年発売のα7000から幕を開けた。世界初の画期的な一眼レフ・オートフォーカス機だった。我々業界人もこぞって手にした。世界が変わるほどの衝撃。合焦までじれったいほどの時間がかかっていたが、それはそれで画期的なことだった。重いガラスレンズを瞬時に駆動させる技術に世界は賞賛を送った。当時は"NIKON"・"CANON"がプロお約束のカメラとして君臨していたが、そのプロ達も実は「ミノルタα」をこっそり使ったと記憶している。
ここに掲載する"Minolta α-9"はソニーに吸収される一歩前、ミノルタが送り出したαシリーズ最後のカメラ。統合時ミノルタからソニーへは200人の技術者が転籍したそう。シャッター速度は1/12000s、驚異の速度だ。ましてピント検出は惜しげもなくCCDラインセンサーを3本。一眼レフハイエンド機に似合わずリトラクタブルストロボがおまけのように付いていた。当時から(プロはストロボなんかに頼るか!)的な意地があったのだが、便利に使った。
気に入らぬ点はただ一つ、ファインダー倍率が0.73倍しかなかった。後に他メーカーからは等倍を上回る機種が出てきて、ファインダーを覗く瞬間の感動を重視するようになった。一眼と言えどもファインダーの中の美しさは、ずっと後の時代のことだ。
僕はこのカメラを使い倒した。F値の明るい長玉の使い方を覚えた。写すことの楽しさ全開だった。モデル達を歩かせ、走らせながら撮影できた。後にCanon、Nikonと相次いで明るい長玉を発売したが、ミノルタのレンズの風合いには追いつかなかった。
ソニーはミノルタを吸収合併してからも、ミノルタレンズのマウントを継承した。「ソニーα」マウント機は合焦スピードには多少の違和感があったが、ミノルタ&ソニー技術陣を応援する気持ちからロケに使い続けた。ソニーの一眼は搭載するソフトウェアに問題が出やすく、3年で壊れる「ソニータイマー」などと揶揄されたりした時代だ。
・ミノルタα-9 (一眼レフレックス35mmカメラ)
発売日1998年12月
・発売時価格 250,000円(Bodyのみ)
・レンズ交換式フラッシュ内蔵35mmAF・AE一眼レフカメラ
・ミノルタAマウント(ソニーAマウント)
・電子制御式縦走りフォーカルプレーンシャッター
・シャッター速度範囲(電子制御):1/12000秒~30秒