この写真は1954年に撮られたもの。岐阜の祖父喜作さんが跨るスクーターは三菱重工業製の「シルバーピジョン(Silver Pigeon)」。祖父と一緒に写っているのは僕。写したのは父だ。父は県庁勤めのかたわら、暗室を持つほど写真に入れ込んでいた。将来は写真家になる夢を持っていた。
さて、祖父は確か59歳で亡くなった。自ら飲料問屋を起こし、空襲で焼かれるまでは10人ほどの丁稚を抱え繁盛した。祖父母は父に対して「店の跡を継げ」と強要していたようだ。
その後、空襲ですべてを失った祖父は、事業に対する熱い思いも失ってしまった。一転して戦後はタバコ屋を営み、大垣市の公的機関すべてに煙草を独占納入する権利を持っていた。今流に言えば営業センス抜群だったのだろう。ここからは詳しい説明を要するが、相当な紙面が必要になるのでここまで。
