本著は2001年の出版です。思い出深い時代でした。阿部写真館にデジタルの波が到来したのが1999年。その頃、NIKON_D-1と格闘していた。2001年には1台400万円のデジタル・バックをハッセルに取り付けて究極を目指した。いきなり本店導入は危険なので、神戸元町のとあるビルの6階に「即日渡し!」を売り文句にして実験スタジオを出した。3年で撤退したが、収穫は大きかった。
あの頃は高価なMacintosh -G3_Blueを2台揃えられず、バックアップPCにタンジェリン・カラーのiMacを導入。自宅ではWindows95に画像処理ソフト"コーレル・ドロー"を入れてスキャン映像をレタッチ処理して楽しんでいた。しばらくすると"PhotoShop"が誕生。しかし当初は"PIXEL"の意味すら分からず、1677万色あればフィルム映像を超えられると信じていたから笑ってしまう。
著者の黒崎政男氏(哲学者)は本著で、デジタルとの格闘の歴史を述べておられる。卓見というより哲学者ならではの達見である。
「つまり問題はこうなる。デジタル写真はTake(撮る)、 Make(作る)、 Fake(偽造する)という変遷を直線的にたどろうとしているのだろうか。それとも、写真において、純粋なTake、純粋なMakeなど、そもそも可能だったのだろうか? そんな根源的な問いを突き付けられているということだ」
今後スチール写真の意味も方向を大きく変え、相対的にメディアとしての価値を失っていく。ついには証拠能力すら失うのかもしれない。フィルムカメラを持っておこう。何かの役に立つこともあるかもしれない。