臨済宗相国寺派

禅宗とひとくくりに言っても、14派もある。それぞれが平安・鎌倉時代から政権による加護、弾圧を受けながら生き残ってきた。その中で臨済宗相国寺派について調べてみた。以下太線部はWIKIより。本来なら出掛けるべきだが、なかなか実現しない。

江戸時代初期に幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪の圧迫を受けたが、三代将軍家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係ものちに回復した。近世には「二十四塔頭、六十寮舎・子庵」あるいは「二十四塔頭、准塔頭五十九宇(「六十五宇」とも)」などと呼ばれ、末寺は25ヶ国280余寺、末寺の塔頭130余院を数えるほど栄え、朱印地は2011石余を有した。この広大な寺領が大徳寺の経済的基盤であったが、明治維新後の上知令によって多くを失ってしまう。なんとか堂宇を維持するため明治11年(1878年)、塔頭13寺を合併(事実上廃絶)、4寺を切縮、20寺を永続塔頭とする縮小を行うものの、寺運は栄え今日に至っている。

写真はいずれもGoogle Mapより

美術館 https://www.shokoku-ji.jp/museum/

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