リスボン-2-

以下は僕の2010年の日記から。世界一好きな国(母国を除いて)ポルトガルです。

スボン市内は7つの丘から成り立っている。その間をレトロな路面電車が走り、時に車と電車が対向できずに睨み合ったりもするが、とてもかわいい街並みだ。丘の上は高級マンションの再開発ラッシュの様相。繁華街も石畳はあちこちで補修工事中。夕暮れになると、さながらモザイクタイルのような美しいコントラストを描いている。遠く15世紀 航海時代バスコダ・ガマの為し得た偉業「東方見聞録」に支えられたポルトガル国民は、世界貿易のパイオニアとしての誇りを今も大切にしている。影の部分を見つめれば、この国こそ奴隷貿易の元祖であり、その繁栄は数百年で幕を閉じて今に至る国なのだ。

ーーこの動画は外国人投稿者"Like A Roller Coaster"よりーー

 リスボンで滞在した5日間、宿泊したホテル・ルティスパーク12階。隣室は確か外国人であったと思うが、夜毎繰り広げられる叫びにも似た悶絶の声が壁を通して伝わってくるのだからたまげた。CNNはハイチ大地震を報じているが、隣室では激しい格闘?が繰り広げられている。壁の薄さは許す。ここはアメリカンスタイルの快適なホテルである。気温もほとんど空調を使わずに過ごせるほど。ここリスボンでは地デジが完備。いま実は現地時間の深夜3時。時差ボケの僕は深夜TV"Mezzo"のエログロとそのコラージュが繰り返される番組と友達になった。日本ではあり得ない番組だ。また朝の地元News番組"SIC NOTICA"で登場するキャスター達の名前に目がとまった。「マニュエラ」、「サンドラ」、「クリスティーナ」。名前のかわいさと実物とはあまり一致しなかったが。窓から望む下界では、河口の川幅が10Kmもあるテージョ川が微かに光っていた。このホテルで気になると言えば、レベーターのドアが凄いスピードで閉まること。最初は怖かった。ポルトガル人のせっかちな一面だろう。

ルトガルは一年を通じて比較的温暖で、南部スペイン国境付近で少し雪が降ることもあるようだ。きょうも明け方は止んでいたようだが昼間はずっと雨模様。それもそのはず、冬が雨期なのである。二日目のカ岬(ユーラシア大陸最西端)行きは、写真にならなかった。雨と横殴りの風がカメラを拒否しているかのようであった。ここは宮本輝の小説で描かれて一躍有名になった場所。

ところで室戸岬は太平洋に向き合った厳しさを感じるが、天候に恵まれれば、誰もが平和を感じるところ。比べてロカ岬はただ雄大さと厳しさが入り交じっているかのようだ。帰り道、ザレの港町で鰯料理を食べる。いまどきの日本であんな大きな鰯は高級魚だ。頭からかぶりついた。味はオリーブを使って焼いただけ。極旨!

世界遺産ントラの町は14世紀ジョアン国王によって創建された避暑地。その宮殿はエデンの園とも称えられた。昔から欧米人がピローを二つ重ねて就寝する習慣が理解できなかったが、シントラの王の寝室に入って教わることとなった。いつ敵が襲ってくるか分からない時代だったから、いつでも起き上がれる休み方の姿勢としてローを重ねていたのだ。まして傍らで休む侍従は、なんとソファとオットマンがベッド代わりであったようだ。戦国の武将達が枕元に刀を置く習慣と一緒なのだろう。平和とはゆっくり安心に包まれて眠ることなんだと、了解した。

またここは当時ヨーロッパ全土をペストの大流行が襲い、恐れた国王が避暑地を開いたと言われている。あの魔女狩りの時代である。その後共和制に至るが、この国は現在も社会党が第一党。町の治安は保たれており、ロッシオ広場の入り組んだ狭い路地裏以外は不安を感じることもない。ポルトガルで一番有名な郷土料理は「カリャウ」。これは鱈とポテトのチャーハンである。ジャガイモは細かく潰して、まるでタイ米のような食感。付け合わせのタマネギ・スライスが重要な役目を果たしている。非常に日本人の嗜好と一致している。海洋国家らしい料理だ。

たすら降り続く雨。今日一日の行動予定は城塞都市パルメラ。ブルーのラインに縁取られた家々の白壁が眩しい。あちらこちらに極彩色の雄鳥が飾られている。魔除けの一つと聞いた。

赤と青の好きな国。おつりの計算下手はーロいち番とか。何事も慌てずゆっくりと進める国民性は、悪く言えば「明日があるさ!」というもの。そのユーロ加盟も一大決心だったろうが、何も変えず守り続ける彼らの意地を感じた。教戦争に明け暮れたこの地に比べ、万世一系を誇る我が国の文化は、あらためて誇らしく感じた。

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