教育勅語翻訳です

現代にこの「教育勅語」は、どう受け止められるだろう。古くなった表現も見受けられるが、決して間違ったことは語られていない。戦前の国民はこの勅語の前で最敬礼した。そして戦争に巻き込まれていったことは事実。

いきなり飛躍するが、もともとこの世界に「正義」なるものは存在しない。親子間にも会社上司・同僚にも言葉にこそならないが「信と義」が底流を流れていなければ社会は成立しない。

以下、勅語の翻訳です。「司政会議HP」より引用させていただきました。

http://reimeinews.jp/index2.html/kyouikuchokugo/

プラハ教会

京都、吉田神社

  1. 親に孝養をつくしましょう(孝行)
  2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
  3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
  4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
  5. 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
  6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
  7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
  8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
  9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
  10. 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
  11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
  12. 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

――以上によって永遠の天皇家を支えましょう。

親子から「義」を奪うとどんなことが起こるでしょう。私も偶然の産物としてこの世に生を受けたのかもしれませんが、無駄な命などひとつもない。人間は集団から離れては生きていけません。それぞれの役割を担っています。また祖国のアイデンティティを持たなければ、文化の違う人々と共存することも難しくなります。これらのことを勅語はごく当たり前の事のように教えています。

移民を受け入れる義務を各国に課したEUも、受け入れの限界が到来し、「はい!これで移民は打ち止め!」といって追い返している国々もあります。

民主主義もグローバリズムも臨界点に達していることは事実。ここで歴史を振り返りリアリストとしての視点も加え、どこに向かっていくのか提示できる政治家を待ち望む。

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