名著紹介・川上弘美 著「なめらかで熱くて甘苦しくて」 より

何回すれ違っても、みわけがつかない。

小さな犬のように見える。ほえるし、はねる。でも犬ではないのかもしれない。

茶畑の中をひとすじに通るこの道を、三時間ほどかけてわたしたちは歩く。

最初にこの道を知ったのは、青木だ。人づてに知ったのだと青木は言った。

さぞこみあっているだろうと思って来てみたが、誰もいなかった。

たくさんの人が行き来しているはずなんだけどね。青木は首をかしげた。道はぬれていた。

茶畑はあおあおとしている。茶畑の真ん中に立った風車は、ゆるくまわっている。

もう三十回はこの道を歩いた。

歩きに来るのは一年に一度ほどのことだが、かなわない時もある。

青木の勤めていたデパートが潰れてから三年間ほどは、来ることができなかった。

犬はどうしてるんだろう。

面白みの一つもないような道だったから、行けなくとも気にならなかったが、

犬のことだけは時々思い出した。

あれは、犬だったのか。

青木は聞き返した。犬じゃないかもしれないね。やたらまぶしく光ってたし。

すぐうやむやになって、話は終わった。

青木が勤めていたのは、三階建てのデパートだった。

一階には靴と野菜と肉と魚とハンドバッグを売っていた。

二階には布団と農具、三階は服と玩具と文房具だった。

屋上への階段脇に、本と雑誌の棚が一つだけあった。

青木は二階の売り場にいた。潰れる前は、一日にお客は五人も来なかったという。

国道沿いに大きなショッピングセンターができて以来、町の人たちは車でそこに乗りつけるようになった。

ショッピングセンターの駐車場の前には車の列ができ、店内は赤ん坊を連れた若夫婦やジャージを着込んだ家族連れでごったがえしているのに、駅から歩いてたった五分のデパートのほうは、人影がひどくうすかった。

青木は職を失ってから、しばらくパチンコばかりしていた。出る日もあるし、出ない日もあった。

出た日は、近くのやきとり屋で待ち合わせ、串を数本と煮込みを食べ、ホッピーを何杯か飲んだ。

青木はお酒が弱いので、私のほうがたくさん飲んだ。

私はまた店に出ようかと思ったけれど、青木に止められた。

小さい町だから面倒だ。青木はそんなふうに言った。

「クラブ・病院」という妙な名の店が、町でいちばん大きな店だった。

なるほど小さな町だから面倒もあるかと、やめた。市場の肉の売り子をして、青木が無職の期間をすごした。

臓物を買うお客がこのあたりに多いのに、驚いた。

どうやって食べるんですか。

店の主人に聞いてみた。焼いて食べるか、煮るかだね。主人はかんたんに答えた。

買って帰り、煮てみたが、くさくて食べられたしろものではなかった。

青木は一口めで吐きだした。

失敗を肉屋の主人に言うと、始末の仕方がよくなかったのだと教えてくれた。

三年たったころに青木は新しい職についた。種苗の会社だった。

作業服を着て、青木は毎日会社まで自転車で通うようになった。

まだ青木がデパートに勤めていたころ、三階から屋上に行くところの階段にある本の棚の前で、いつもこっそり立ち読みをしていた。

何年も棚ざらしになっている本ばかりで、背表紙は日に焼けていた。

いちど青木に見つかった。

こんなところで何してんの。青木は聞いた。何って、本読んでる。字、読むんだ。

青木は驚いたような顔をした。

青木とは千葉の店で知り合った。毎週水曜日に来るお客だった。

最初のうちはいろいろな子を指名していたけれど、途中からわたし一人を指名するようになった。

デパートに勤めているという話は、指名されはじめて1年目くらいに聞いたような気がする。

デパートって、すごいね。あいずちというのでもなく言うと、青木は可笑しそうな顔をした。

大丸とかそごうとか、そういう立派なもんじゃないから。

デパートという名の、大きなよろず屋だった。

青木は小さいころ年に二回の「おでかけ」で連れてきてもらったという。

まだその当時はあった屋上の小さな遊園であそび、たぬきうどんを食べるのが楽しみだった。

「クラブ・病院」は、青木が十代のころにできた。女のいるみせに行ってみたかったけれど、

親の代の知り合いに会うと気まずいので、千葉の店まで電車で二時間かけて通った。

青木の両親は青木が三十を過ぎたころ亡くなった。その後すぐわたしと住み始めた。

町には青木の知り合いが少なくなっていた。死ぬか、出てゆくかして、みんないなくなる。親類も減った。

兼業でどの家もつくっていた畑も田も、荒れた。 住みはじめてすぐのころの誕生日に、

青木がデパートの棚にあった本を買ってきてくれたことがある。

頭を下げて受け取った。表紙がめくれて、ページがかたくなっていた。

青木は眉がうすい。ひらいた頭の鉢に、髪もうすい。する時はていねいだ。

最初のうちはわたしが先にたったが、そのうちに青木が導くかたちになった。

青木にもらった本を読んでは寝入り、起きてはまた読んだ。肉屋で働く前は、内職をしていた。

人形つくりの内職だ。

親指ほどの大きさの人形を、一時間に十体ほど、いそしまずに寝てばかりいたので、

たいした金額にはならなかった。夕飯は青木が買ってきた野菜や魚を料理した。

青木は同じものばかり買ってくるので、同じものばかりになる。

ほうれん草のおひたしに、焼き魚。煮魚はうまくできない。あとはきゅうりに味噌をつけて食べるか、

山芋をたたいて青海苔としょうゆをかけたもの。

青木はときどき外で女を買っているようだった。

買うのではなく、普通につきあっているのかもしれなかった。

                                                                                                                                                             (窓ガラスに浮かぶフレアー)

その道に行くときは、いつも晴れている。

どうしてわたしと住んでるの。

いつもならば聞かないようなことを、道を歩いているときだけはぽろりと聞いてしまう。

一人じゃ淋しいけん。でたらめななまりをわざと使って、青木は答える。

道の途中に寺がある。人けのない場所だ。青木は必ずその寺に参る。

手をあわせて何かを祈る。裏手には墓地がある。毎年少しずつ墓が増える。坊主まる儲け。

青木はつぶやく。墓の横にある板のようなものに、たくさんの戒名が彫ってある。

子供のものらしき戒名には、どれもきれいな響きの文字が使われている。

青木との間に、一度子供ができたことがあった。結婚しようと青木は言った。

四ヶ月を少し過ぎた時に流産した。そのまま結婚は沙汰やみになった。

墓地で、青木はわたしにくちづけをする。部屋でも、しているときも、あまりしないのに。

道を歩くとき、ころびそうになると、ささえてくれる。疲れると、一緒にじべたに座る。

ほんの時たま、道で人とすれちがう。人はよく光っている。

あの犬のようなものと、同じくらい光っている。

まぶしくて、顔や背格好は、ほとんどみえない。

町にはギターの流しがいた。

いつも青木と行くやきとり屋にまわってくるのは、火曜日だった。

青木は曲を頼まなかったけれど、店の主人はときどきにぎやかしに五木ひろしを頼んだ。

流しが弾くのは「待っている女」か「よこはまたそがれ」だった。

流しが帰るところに行き合ったことがある。

店の中で見るよりも、背が低くみえた。ギターケースをさげ、夜道を歩いていた。

急に立ち止まり、ふところから何かを取り出した。数えている。札らしかった。

ひい、ふう、みい。

流しはていねいに数えてから、札をしまった。体を少しゆすり、

鼻歌をうたいはじめた。知らない歌だった。

途中まで一緒だったけれど、手前の道で流しは左におれた。

青木の部屋は右である。流しについていってしまいたくなった。

ついていった。流しの部屋はよく片づいていた。知ってるよ、あんた。流しは言った。

そそくさとおこなった。

                                                                             (↑Photoshopエアーブラシツールで描く)

やきとり屋には、なるべく火曜日に行かないようにした。

青木に理由を言えないので、たまに火曜日の流しに行き合ってしまうことがあった。

流しは何も言わなかった。こちらを見ようともしなかった。

流しはそのうち違う土地に移っていったらしかった。四国に娘がいるんだって話だよ。

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以上抜粋しました。いきなりの長文を読んでくださった方、ありがとう。人間として何かお感じになりましたか? 私の大好きな作家です。作家川上 弘美の略歴は、以下ご参照ください。

―日本の小説家。東京都生まれ。大学在学中よりSF雑誌に短編を寄稿、編集にもたずさわる。高校の生物科教員などを経て、1994年、短編「神様」でパスカル短篇文学新人賞を受賞。1996年「蛇を踏む」で芥川賞受賞。 幻想的な世界と日常が織り交ざった描写を得意とする。作品のおりなす世界観は「空気感」と呼ばれ、内田百閒の影響を受けた独特のものである。その他の主な作品に『溺レる』、『センセイの鞄』、『真鶴』など。(ウィキペディアより転載)―

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