業務上の話をしよう。当社の支店クレメント写真室には時々皇室の方々が
お越しになられる。撮影できることはとても名誉なことです。
そこで簡単な撮影マニュアルをご披露します。当たり前のことが並んでいます。
1.言葉遣いは標準語で
2.宮様の前を通らない。通らねばならない時は2m以上開ける
3.宮様の襟元などお直しする際は膝まずいて、断りを入れてから行う
4.笑顔を誘うジョークは使わない
5.貴賓席にお座りの方に対して倍の防衛距離・安全距離を心がける
6.撮影終了トークは通常と違う。「ご退席ください」に統一する
「皇室撮影諸ものがたり」
「このホテルのスタジオも何度か宮家をお迎えしてきた」
「今回は二度目の皇室入り集合写真撮影だな」
「一緒に並ぶお客さんも華道の全国区級の名取り師匠ばかりだ」
「ボクサー岡田は撮影担当もちろん初めてだな」
岡田は今までにないプレッシャーを感じている風だった。
「不安というか、なんかヘマしちゃいそうですよ」
「生涯何度もないチャンスだな」
緊張は当人の能力を半減させる。だがスタジオマネージャー時田は彼に任せるつもりだ。ストロボ機材の点検をしながら時間を掛けて岡田に確認しようとしていた。
「防衛距離と安全距離の違いは分かるよな」
「どういうことですか? マネージャー」
「近づいちゃいけないんですよね」
「だから接近程度の差は分かるか ? と聞いてるんだよ」
「宮様の前を通らないってことですかあ。うーん?」
「前は通らなきゃしょーがないときだってありますよ」
今回撮影を担当するはずだったもう一人のカメラマン小山は横から不満そうに言う。
「いや前を絶対横切ってはいけない」
「絶対?・・・」
「しかしだ、例外として宮様と安全距離をとればいい」
「そう言ってるんだ」
「やむを得ないときだけだぞ」
「それもいちいち説明しなきゃいけないか」
「絶対横切るなって言われても・・・」
まだ不満そうな小山に時田は妥協するわけにいかない。
「そこまで考えたことないよな」
「カメラマンは正面から指示し、両サイドに別の女性スタッフが張り付きゃいいだろ」
「女性ふたりは互いに正面反対側に移動してはいけない」
「わかったな」
「撮影トークにジョークは入れない」
「つまり硬い表情のままシャッター切れないから(笑い!)を取るトークですね」
「その通り」
「笑いを取るような誘導をしてはいかん」
「そして防衛距離・安全距離を理解する」
「これは初対面のお客様すべてに適用して欲しい」
「『撮影は終了しました』トークじゃだめだめ」
「『ご退席ください』ですか」
「もっと相応しい言葉あるかな」
「明日までに考えてこいよ」
「10年前は私が撮影を担当したが」
「実を言うと宮様の前に歩み寄って『お足元はこのままでいいでしょうか?』、そうやってしまったんだ」
「え〜っ、そうなんですかあ」
「でも俺は1.5m接近地点で立ち止まり黙礼して、ひざまずいたぞ」
「宮様の反応にビックリしたが」
「静かだが毅然とした態度で、苛つくことなく愛を持って『このままで』そう答えられたよ」
「だから俺はただただ自分の傲慢さを恥じた」
「だから繰り返さないように注意事項を確認しておくんだよ」
「それから」
「えっ! まだあるんですか」
「言葉遣いは標準語で」
「質問していいですか」
「なんだ」
「今回は違うけど、もしも天皇陛下を写すときはどうしたら」
「考えんでいい。あり得んからな」
「皇居で暮らす方を撮影できるのは、昔からと決まってるんだ。スチールはコニカ。ムービーは毎日と」
「今度の震災で俺もはっきり自覚したよ」
「あの方は日本人で唯一本物の『祈り』を捧げている人だぞ」
「本物ってどういう事ですか」
「『無私』の心だ」
「岡田は『我欲』を持たずに祈れるか?」
実は俺にも出来そうにない。
皇室撮影マニュアルはそもそも存在しない。
スタッフ各人には天皇家に対する認識の差がありすぎる。これを埋めるためには、愛国心に留まらず、「日本人としての矜持」までを摺り合わせなければ無理だろう。