阿刀田高著『白梅紅梅屏風』

あまりの名文に僕は唸った。この屏風絵に描かれたのは、尾形光琳が制作当時、一人の女性を巡って競いあっていたからだとするエピソードが残されている。屏風絵には流れる水を女体に見立て、白梅と紅梅にはそれを奪い合う姿を描いたとされている。この話は以下の文中から感じ取ってみてください。

集英社刊 「阿刀田高傑作短編集」中の表題作から以下、一部抜粋しました。

〝中央の豊満な水の流れ、それがちゃんと女体になっていることを、なぜ人は見ないのであろうか。仰むけにのけぞった頸から胸の乳、みずおち、なだらかな腹、恥骨のあたりのやわらかいふくらみにいたるまでを、その正面はこまやかに魅惑ゆたかにあらわしている。また背面はわざと巨大な尻をつき出して、後からそーっと忍びよる紅梅すなわち内蔵助をはじき返している。いざこれから玉樹後庭花でゆこうというたのしいところを、肘鉄ならぬ尻鉄くってどんとはねとばされた紅梅は、おどろいて両手をあげ、だあとなって両足ひろげ、一物勃起したままどうにもならずにしゃきりたっている。これに反して光琳の白梅は、太く逞しく強ばって重量感ある大きい根をゆらりゆらり揺りうごかして下腹をねらい、その枝は手のように肘をまげて乳の先をまさぐっている。そして樹根は恥骨をたたきながら、「どうだ、俺のは太くて固いだろう。内蔵助の瘦っぽちは色男のように見えるけれども、あの日干しのみみずのようなのは話にならぬ」と、得意がっていよいよ太く大きくふくれてゆくようにみえる。そしてその古怪な亀頭がいかにもそこに嗅ぎ寄って、目をつむって匂いをたのしんでいるようなのがおかしい。光琳が事実そんなきもちでこの絵を描いたことは、なによりもこの絵じしんがもっともよく示している。この絵をしばらく見ていると、まったくそういうふうにみえる。というのは、ほんとうに光琳がそういうきもちでこの絵を描いたからにほかならない。実際女の肉体は、股のあたりに顔をつけて上方を望むと、まさにこの水のような形に見える。”

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