ヨット初航海のその日、マリーナの社長に乗船してもらい、一日特訓で操船術を習った。早速ベテラン気取りで海に向かう。
全長24feet。中古の小型艇だ。このクラスなら一人で取りまわせると聞いた。クルマでいえばカローラクラスと言っていいだろう。
そもそもの発想は艇のキャビンに図書室を設け、気取って海の上で読書を堪能しようと思い立ったはいいが、実際してみると快適とは程遠い。命の危険だってある。万が一のため携帯は持っているが、洋上は俗世間と完全に隔絶されている。それが憧れだった。僕には至上最高の贅沢に思えた。愛妻も一度だけ乗船してくれた。
さて、26度目の航海。
沖合5Kmほどの地点まで出た。2度目の航海では風まかせに進み、ふと気づけば帰る方角を見失ってしまっていたので、以来ナビゲーションも装備した。
晴れた風の少ない春日和だった。
あのとき、手にした小説のストーリーにのめり込んでしまい、周囲をまったく監視していなかった。自艇は海流に乗り徐々に流されていった。そしてフェリー航路に侵入したことに気付かなかった。
船の警笛が鳴った。ふと風上に目を移す。なんと目前に2000トンを超える真っ白の船が迫っていた。小舟から見上げれば巨大船だ。
エンジンをかけた。一発で始動完了。いつものように自分は冷静だった。見張りもなく独り航海だったが回避行動は素早かった。メインセールを降ろしていたことも幸いだった。あのまま衝突していたら海難事故の被告席だった。いや助からないだろう。
それ以降、友人を誘って出航を重ねたが、結局は愛艇も3年たらずで転売してしまった。四国の男なら海に繰り出す技がいるなどと、エエ格好しようとしたのがいけなかった。
海は眺めている限り美しい。読書と航海、欲張った。驕っていた。
目的は一つだけにしよう。