あるがままに(ラマナ・マハルシの教え)

本書は(株)ナチュラル・スピリット刊。禅の土野先生から頂いた。何度読み返しても迷路にハマっていく感覚を覚えてしまうのです。自分は読むに値する人間でないなどと考えてしまいます。ついにはマハルシの傍に仕えたこの本の編集者と訳者も理解できていないのだ。そう思うことで自分を慰めた。

この本には、次々と質問者が登場する。世界中の識者、有名人たちがマハルシに会って教えを乞うために、インドに出向き、師に質問を投げかけそれに答えていく形式なのです。いわばインド版禅問答です。その中から一部をご紹介します。

第一章「真我の本性」

質問者:身体とそれに生命を与える自己は、実際いたるところで見ることが出来るというのに、どうして「真我」は一つだと言われるのでしょうか?

マハルシ:「私は身体だ」という観念が受け入れられると、自己は多数となる。この観念が消え去った状態が真我。なぜなら、その状態の中には他に何も存在しないからだ。それゆえ、真我は一つだとみなされるのである。真我の本来の視野の中には身体は存在せず、幻想の力に惑わされて外に向かう心の視野の中にだけ身体は存在している。それゆえ、意識の空間である真我をデヒ(身体の所有者)と呼ぶのは誤りである。身体がなければ世界は存在せず、心がなければ身体も存在しない。意識がなければ心は存在せず、実在がなければ意識も存在しない。

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この文章だけを目にしてもマハルシをイメージできない。やはり会わねば心は伝わらないもの。そこで気が付いたことがある。映画スター・ウォーズでダース・ベイダーが語るシーンがある。「すべてのフォース(意識)は共にある」。これは何というシンクロであろうか。監督はマハルシに会ったのであろうか。

ジョージ・ルーカスは「真我」の意味を体得しているのである。

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