1976年、衝動的に住処を離れカメラだけを持って旅に出た
目的地は決めなかった
厳しい寒波、地吹雪と冷たい雨にさらされ、着ていたコートは凍り付いた
石見では暖をとるため
駅前の酒屋に飛び込んだ
すでに日は暮れていた
ここは公共事業の建設労働者たちが集まる居酒屋
熱々のおでんを注文すると
女将に言われた
『にいちゃん!他所もんだな、カメラマンなんか気取って、
そぉー言うのをインテリヤクザって云うんだよ』
ガツンとやられた
冬の隠岐の島に渡ると
民宿『一力屋』のおかみさんに無理矢理
頼み込んで泊めてもらう
何も言わず何も聞かず
そっとご飯を炊いてくれた
このタオルを使え
そう言った
ご飯を一緒に食べてくれた
冬の日本海はシケる
3時間40分の乗船は
生きた心地がしなかった
旅から帰ると妻から
『今なら別れてあげる』
きっと自分の眼は宙を漂っていたんだろう
何度も漂う虚無感の中にある種
心地良さを感じて居るように見えたのかも知れない
言われて目が覚めた
1976年は自分にとってターニングポイントだった
子育てという現実に直面しながら
この現実が夢であって欲しい
そう願ってたんだろう
「写真=写実」そんな意味の分からない世界にたじろいだんだろうか。今もって分からない。
「まほらま」とは造語でなく大和言葉
人は時に非現実の世界に埋没したい
そんな願望はきっと誰でも持ち合わせている
それは理想郷(まほろば)であり
永遠に手に入らないから理想郷
この年齢になった今ようやく
『いまここにある』幸せに気が付く。もう引きずることはしない